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笹幸恵
2015.4.11 15:15

アンガウル

天皇皇后両陛下のペリリューご訪問について。
ニュース番組を見ながら、

一人ウルウルしてしまった。

彼の地で戦った人々は、どれほど

喜んでいることだろう。

 

米軍上陸前のペリリューを知る人は、私にこう言った。

「ペリリューに行ったらね、

あんた、島の形をよく見てきてほしいんや。

島影がね、まるっきり変わってしまったんや・・・」

それは、いうまでもなく米軍の激しい砲爆撃に

よってである。

 

今のペリリューは、緑豊かな島だ。

けれど当時は、砲爆撃によって木々はなぎ倒され、

山肌がむき出しになっていた。

そればかりか、地形さえ変わるほどのすさまじさだった。

 

私がそれを実感したのは、密林で足を踏み外したときだった。

普通、密林の足場はかたい。

スコールの後で岩場が滑ったりすることは

あるけれど、根が張っていることもあり、

地盤そのものが脆いということはない。

けれどペリリューは、密林であっても、

ふとしたときに土の下にある岩(サンゴ礁)が

ガラガラと音をたてて崩れるのだ。

 

砲爆撃でボロボロになった場所に、

いつしか樹木が育った。

一見すると「元の姿」に

戻ったかのように見えるけれど、本当は違う。

足元には、当時の記憶が眠ったままだ。

 

映像を見ていて、思わず「あッ」と叫んだのは、

十数キロ南にあるアンガウル島に向けて

両陛下が一礼されたとき。

今回のご訪問でペリリュー島は注目されたけれど、

本当は、その隣の島でも部隊が全滅している。

米軍上陸時、アンガウル島を守っていたのは、

歩兵第59聯隊、後藤丑雄少佐率いる第一大隊(1200名)である。

なかでも第三中隊長である島武中尉は、遊撃隊として

「疾風紅蓮隊」と称し、毎日のように

部下を引き連れて島を走っていたという。

彼らがつくったといわれる散兵壕が

今も島には残っている。

 

アンガウル島で戦ったある方は、私にこう言った。

「ほら、この若いパパイヤね、

これを引っこ抜いて根っこを食べるんですよ。

大根みたいなもんです。でも最後には、

これすら引っこ抜く力さえ失ってしまいました・・・」

それを聞いた私は、言葉を失った。

 

そんなことを思い出しつつニュースを見ていたら、

いつの間にか心の中で叫んでいた。

あッ! いま! ほら!

陛下が来られましたよ!

ああッ!

アンガウルにまで!!!

うおおおッ。

みなさん、見てる?

見えてる? ほらーーー!!!!
陛下はアンガウルのことも
忘れてなかった!

 

いったい誰に話しかけていたのだろう。

しかもニュースだし。

生中継じゃないし。

 
でも、どれほどの人(在天の英霊も含めて)が
両陛下のパラオご訪問を待ち望んだことか。
それを思うと、やっぱり少しウルウルしてしまう。

笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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